ヒロに対する次の質問を見失ってしまったようだ。
ヒロはしかし、少々動揺を禁じえなかった。この問題は外国にやって来て、ヒロの念頭を離れない問題の一つとなってしまっていた。
外国を一人で旅している。いや、旅を続けてきた。今、こうしてスウェーデンの中央部にあるÖstersund、そしてÅs
に暫定的に落ち着いてしまっている。でも、居候している家の中に一日中いることはしない。仕事がない日には約十キロの距離を自転車を漕いで、市の図書館にやってくることにしている。仕事のある日は、勿論、
こうしてレストランでの洗い物である。そして休憩時間にはこうして彼女達とコーヒーを飲みながら思い付くことなどを喋り合っている。互いに眺め合っているだけの時もある。
若い女の子達は若干年上の、異国の人であるヒロに対して遠慮がちである。彼女達の方から率先してヒロに話し掛けてくることは余りない。ヒロの方が口を開いて話
し掛けない限り彼女達は口を開かない。ヒロが黙り続けているとそこにはあくまでも沈黙が訪れてくる。沈黙に耐えられずタバコを吸い出したり、突然用を思い出したかの如く席を立って
ヒロの眼前から姿を消す。多分、化粧直しにトイレに行ったのかもしれない。彼女達はそれを自然な振る舞いとしてヒロの目の前に見せるのだが、ヒロには彼女達の心理が分かるような気がする。言葉が上手く話せない分、
ヒロは雰囲気等、目に見えない状況には敏感になっている。
ヒロと向かい合ったままそこにじっとしていることが居心地悪く感じられ、そんな感覚に囚われないようにと抵抗を試みているのだ。それは自然なのかもしれない。互いに心意気の知り合った関係がそこに存在している訳ではない。偶然の関係。仕事が終われば、見知らぬ同士として別れてしまう。
ヒロが彼女達にとっては外国人だということ、しかも異性であることが彼女達をして気構えさせてしまうのかも知れない。
彼女達と対等にスウェーデン語で話合えない自分。少なくともヒロが言いたいことはスウェーデン語で試みることは出来るのだが、彼女達から訊かれると、時々ヒロは理解出来ず内心苦しむ。困惑する。彼女達はそんな
ヒロの姿を見るに耐えられず、口を閉ざしたままでいるのかも知れない。故に一週間に二三度、一ヶ月に十何回と会っていながらも、彼女達とヒロとの間の意思疎通は充分に行われない
まま、発展性がない。
そうだ、以心伝心があるでないか!? 眺め合っているだけで意思が通じ合うものだろうか。彼女達の一人が同僚に訴えているのを漏れ聞いたことがあった。正確な所は定かでないが。
「彼と話してみたいんだけど、彼ったらちっとも私に話し掛けてくれないのよ」
この彼女は長らくヒロを避けてきた一人だ。顔が合うととんでもない方に向いてしまう。勿論、ヒロと直接向かい合うように腰掛けることはない。そのくせ、ヒロに見られないように、気付かれないように、
ヒロをしっかりと観察している。そんな彼女も研修にやってきた女子学生とヒロとがざっくばらんに語り合っている場面を目撃した後、態度を少し変化させてきたようであった。その研修にきた女子学生に話し掛けている彼女。
ねえ、何を話したの?
それ以来、彼女はヒロと相対するように、四角いテーブルを挟んで腰掛けるようになった。何と言う度胸。依然とヒロは口を閉ざしたままであった。彼女は間近にヒロの表情を眺めている。
ヒロは東洋人だ。ヒロが彼女の顔の方に顔を向けると、彼女
、とっさに顔を合わせないようにしてしまう。
何をそんなにもったいぶっているのだろう、でもそんなところが可愛い。ヒロは口には出さずも心の中で彼女に向かって言っている。
「あなたはヒロと話したいのですか? そうですか? ヒロが欲しいのですか?」
大胆な質問をしているヒロ、彼女は顔を赤らめたまま下を向いてしまう。そんな情景が目に見えるかのようだ。確かに彼女も綺麗な、かわいいスウェーデンの女の子の一人だ。服装に女の子らしさが表現されている。
まるでヒロの注視を独り占めにしようとモーションを掛けているかのようでもある。が、とても内気そうなスウェーデンの女の子だ。
勿論、例外はいる。もう言わずと知れた、その人、モッドである。日曜日の晩、我々は遅くまで仕事を続けていた。小休止を何度か取っていた。タバコを吹かしたり、コーヒーを飲んだり、ただ休憩するために休憩したり、とにかく日曜日、夜遅くまでの仕事は疲れる。
モッドはだから率先して休憩を取る。休憩を取った彼女は
ヒロが仕事中であっても、ヒロを呼ぶ。一緒に休憩を取りましょう、と。
ヒロは流し台の上に腰掛けたまま、彼女とは離れて相対する。インゲラと女子学生がモッドを挟むようにして腰掛けている。モッドは先輩格である。午後9時を
既に回っていたようだ。午後10時には仕事を終えることになっている。
夜も遅く、我々労働者達の間ではその時刻、言葉を交わすには少々疲労感の方が大きく覆い被さってきていた。沈黙が暫しそこにはあった。ヒロの方に向かってモッドが口を開いた。何を思ったのか、仕事が終わった後、家に帰って行く自分の姿、家に戻って来た自分の姿が目に浮かんで来ていたのだろうか。
「午後10時になったら、家に帰れる。家に着いたら
スーネとこうするのよ」
こう言いながら彼女は両腕を大きく広げ、夫のスーネを抱き締め、熱い接吻をする仕草を、嬉しそうに、誇るかのように、ヒロに見せつける。
「あんた、こうすることの出来る人いるの?」
「だれもいない」
「欲しいと思わないの?」
「・・・・・・・・」
「欲しくないの?」
彼女の両脇に腰掛けている後輩格のインゲラと女子学生はヒロがどう答えるものかと息を凝らして待っているようだ。
「う〜ん、そりゃあ、、、、でも難しいと思われる」
返答に窮した。欲しくないわけではない。が、欲しい、と答えては少々露骨過ぎると思われた。でも彼女は大胆だ。ヒロはそう思った。連れ合いがいるとそうなるものなのか。既婚と未婚との違いが内的にも異なった姿勢を形成するようになるのか。それともこれは彼女の真の、自然の姿のか。
別に彼女は大胆でもない、と ヒロは思い直した。そもそも、モッドは人妻なのだから。