N「ダンスに行くのよ」とそのスウェーデン娘
ヨーロッパ一人旅↑ ノルウェー娘と本当に二人きりだけ
No.32 ■はじめてだった、ヨーロッパ(スウェーデン編)ひとり旅■
19xx年9月20日(金)うす曇
あと二日。
ノルウェー娘の態度が変化してきた、ようだ。昨日の彼女はいつもと少々違っていた。ヒロに対して関心を持ち始めたと言えるのかもしれない。
昨日、朝、8時過ぎだ。アンネリーがヒロよりも早く、午前7時前にはもう出勤していたのには少々驚いた。が、更に驚いたことは、来ないであろうと思っていたノルウェー娘がこれまた一時間も早くやって来ていたことであった。
驚くという言葉は適当ではない。言葉の本当の意味で驚いた訳でなかった。いつもの如く、タイル床を熱湯で洗い流した後、ホースを元の場所に置こうと、その場所へホースを引っ張りながら持ってくると、目の前に彼女がブラシで床を洗い終わったらしい。身を起こして
ヒロの方へと向いた。ヒロはそこに突っ立っていた。
「Hej! やあ」と
ヒロ。
「Hej!」
「これ使う?」とヒロ。
「ええ、使うわ」
ヒロは彼女にホースを渡した。
不思議だ。ヒロの方から彼女に声を掛けた。彼女はヒロなどには一顧だに払わない筈だ。ヒロのことなど別に何とも思っていないのだ。ヒロは彼女のことをそう思っていた。だから
ヒロの方から声を掛けることなど到底有り得ない筈だった。それ
なのにヒロは彼女に声を掛けた。これは特筆的なことだ。尤も、人に会った時には日常的に言う挨拶言葉は言おうが言うまいが、
考える余裕もなく言われるものだ、言うものだ。スウェーデン語では
“Hej! ヘイ!”
“Hej!”
何処でも聞かれる人と人との挨拶。
“Hej!”
“Hej!”
それは習慣の成せる業であったと言えるかもしれない。朝、お互いに挨拶を交わしただけの話だ。
朝のトーストの時間でのこと。ここでも特筆すべき出来事は起こらなかった。いつもの通り、
儀式じみたコーヒーとトーストである。が、ノルウェー娘が時々、ヒロの方を盗み見するのに気付かざるを得なかった。
「ねえ、日曜日の晩はどうだった?」モッドがヒロに訊く。
「そのことについては話したくない」とヒロ。
ヒロ一人、彼女たちから離れるかの如く、押し黙ったまま食事を取っていた。彼女たちは適当に喋っている。ノルウェー娘もその喋り合いに積極的に参加している。いつもの彼女だ。そして、気が付いたのだが、時々
ヒロの方へと視線を投げ掛けている。ヒロはそこに腰掛けていながらも一人一人の様子を観察しているのであった。いつもの通りのヒロだった。
ノルウェー娘はヒロが日曜日の夜、ダンスに行ったことに無関心ではいられないのかもしれない。何がそこで行われたのか。関心がある。彼女自身はダンスに来ていなかった。行きたかったのかもしれない。ただ一緒に行ける人がいなかったので行かなかった
なのかもしれない。アンネリーに先を越されてしまった。アンネリーと何かあったのか。そんなことを聞きたくて耳を立てているのだ。
そして、午後のコーヒーの時間。彼女らはコーヒーを用意しながらも、ヒロが仕事の手を休めてコーヒーを飲みに来るのを何らかの期待感を抱きながら、今か今かと椅子に腰掛けて待っている。
ヒロからどんな面白い話が引き出せるものかとてぐすねを引いてまっているの
だ。
休憩部屋にヒロは一人で昼食を取りに行った。食事を終えた後、そのままそこで寝転がって、休憩を兼ねながらラジオの放送に耳を傾けていた。ドアを閉めて、ラジオのボリュームを大きくしてあった。
ヒロ一人だけには余にも大き過ぎる部屋。どうも何かが欠けているように感じられて仕方がなかった。寝転がっていても休憩を取っているとは感じられない。やはり彼女達と一緒にワイワイ、ガヤガヤとしていないと面白くない。
身を起こして、階下へと降りて行くことにした。食べ終えた食器を両手で持って運んで行った。そして、トイレに入った。便器の上に腰掛けた。
まさに便器に腰掛けて用を足しているところであった。と、暫くするとドアが開けられ、誰かが叫んだ。わざわざトイレにまで追跡してくるとは!
「お茶が飲めるわよ!」
モッドであった。足音が遠ざかって行った。わざわざ男性トイレのドアを開け、なんの気後れもなしにわざわざお茶の用意が出来たことをヒロに告げに来るとは、北欧の、西洋の女性も全然恥かしさはないのか。
いや、既婚者のモードに限ったことなのかもしれない。便器に腰掛けたままメッセージはこの耳に届いたが、この出来事には少々驚いた。と同時に不思議であった。どうしてヒロがトイレに入っているということが分かったのだろうか。
ヒロは何処へ行っても注目されているのか。
「この話」のつづき
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆★☆
19xx年9月23日(月)晴れ
☆★★☆〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
レストランでの仕事は終わってしまった。ちょうど一ヶ月の期間であった。
一ヶ月間の休暇を取っていた、担当の洗い手が仕事に戻って来るのだ。休暇中の彼女の補完といういのか、ヒロは彼女の代理として洗い物の仕事に就く事が出来たのであった。もっと長い期間続けて仕事をやりたかったのだが、
致し方がない。彼女の仕事を奪ってまでその仕事を続ける権利はヒロにはない。飽くまでも臨時雇いであった。寧ろ、彼女に感謝すべきかも知れない。
仕事の見出しがたい所で幸運にも仕事にありつけた。一ヶ月という期間だけを取り出してみれば、考えようによっては確かに短い期間であった。が、それよりも仕事が得られたということだけでも
ヒロは幸運だったと言わなければならない。
彼女を恨むわけではないけれども、脳裏の片隅には、彼女がもっと長期の休暇を取り続ければ良いのに、などと勝手な、不可能な希望を擁いているのであった。彼女とはどんな人だろう?
昨日の日曜日、ヒロにとっては最後の仕事日であった。一ヶ月間、仕事を休んだのは一回だけ。それもヒロの意思から出たものではなく、休むように言われてやむなく休養を取ったという次第であった。その日曜日は全く面白くない日曜日になってしまった。
二回目の日曜日のこと。家の中に一日中、閉じこもっていなければいなければならなかった。話しても面白くもない老夫婦と口を利かないように朝遅くまでベッドに寝転がっていた。寝過ぎた結果が、頭痛であった。一日中、体がだるく、何の休養であったのか自分でも全く理解に苦しむ。仕事を出来る限り長く続けたいという
ヒロの願望も、本当のことを言うと、そこに根差しているのであった。
仕事から離れるということは再び彼等達の所に戻って来ることを殆ど意味する。率直に述べよう。
年寄りは嫌いだ。何故だか知らぬが、ヒロは年配の人間達との接触が多い。ヒロはまだ若い積もりだ。心も体もまだ若い積もりだ。まだ年寄りの仲間入りをする程、心身共に老化を来たしてはいない。第一、面白くない。いつも同じ事の繰り返した。面白くないことの繰り返しだ。感興が湧かない。関心が持てない。興味を惹かない。そんな事柄が
ヒロの回りには多過ぎる。その中に何時までもいると無関心、無気力になってしまう。ヒロにとっての危険信号が鳴り響いている。早く、早く、そこから脱出せよ、と。
老夫婦がヒロを養子に迎える意向であるらしいことは娘さんから直接聞かされた。これは忘れることが出来ない。そんなことがあって堪るか!
ヒロは自由の身だ。自由の身でありたい。
ヒロは束縛、拘束されるのが嫌なのだ。彼等たちがヒロを食事付き、ベッド付きで家に置いてくれるというのも、それなりの返礼を期待してのことではないのか。それはヒロが彼等たちと何時までも一緒に住むということなのか。何時までも、とはどのくらいだろう。
ヒロは何時までも一緒に居たい、住みたいとは思わない。彼等たちと一緒に居ること自体が、今の自分には不興の種と化してしまっている。彼等たちはヒロをどう見ているのか。戯曲「人形の家」のノラと
ヒロの立場はどう異なっているだろうか。
「日本人は素的だ」などと、言う。それがヒロに対しての褒め言葉らしい。が、ヒロの立場はここではどうなっているのか。ヒロは彼等達にとって何なのか。慰め物(者?)。彼等たちの、単調この上ない生活様式に与えられた一つの波紋。その波紋は何処までも広がって行こうとはしないのだ。なぜか。広がって行くだけの理由が見出せない。彼等達は
ヒロを彼等達の、一種の所有物とでも言った風な態度に出て来るようだ。
先日、ダンスに行った。その晩、ヒロは帰って来なかった。案の定、「何処に泊まったの?」と質問して来た。
何処に泊まろうと、ヒロが何処に居ようと、それはヒロの自由ではないのか。仕事からの帰りがある一定の時刻になってしまい、その一定の時刻から遅れると「今日は遅いね。長く仕事をやっていたのかい?」と来る。彼等たちは
ヒロから目を逸らさない。外であろうと内であろうと変わりはない。
ヒロをどう見ているのか。ヒロはなるべく彼等たちと一緒に居ないで居られるような所に居たいと意識する。
毎朝仕事に出て行く。確かに自転車に乗って行くその時の、朝の空気は冷たい。が、そんなことは問題ではないと、そんな冷たさを振り切って走る。ヒロは一人きりになれるのだ。そして、仕事の合間には仕事仲間と面白く喋り合える。楽しい一時である。
彼女たちに会える楽しみでヒロは仕事も楽しくすることが出来る。彼女達が来る前よりも早くヒロはレストランに来ている。別に苦労とは思わない。今日は誰がやって来るだろうかと、期待に
胸を膨らませ、心は何となく浮き浮きだ。今日は彼女たちとどんなことを喋り合えるだろうか、どんなことが起こるだろうか、そんなことを楽しく想像しながら彼女達が出勤して来るのを心待ちに待っているのであった。
若い彼女達と喋り合えることは、給料が安いことや仕事の内容が単調であるということを相殺して余りあるもの。
互いに眺め合っているだけでも心が楽しくなってくる。
彼女達は眺めているだけの価値はある。ヒロの想像力をむしょうに掻き立ててくれる。言葉を発せずも、交わせずも、互いに眺め合うだけでも、互いに我々は今となっては理解し合っているという思いに浸ることが出来る。それが楽しい。眺め合うだけでなく、充分な意思疎通が出来れば更に楽しさは増すだろう。そう思うと、そういう時が
必ずややって来ることを思うと、尚更心は楽しくなってしまう。
どうして彼女達との楽しい一時をそう簡単に放棄出来ようか!
しかし、そんな毎日の一時も、昨日の日曜日限りとなってしまった。また憂鬱な日々がヒロの目の前に展開される
。それを恐れる。
だから、新たな仕事を見出さなければならないと考えている。年取った彼等たちと一緒にいると憂鬱な気分に陥ってしまう自分を発見する。
年若い彼女たちと会えるのも、それも多分彼女たちの一部と会えるのも、これからは土曜日と日曜日だけだ。来年まで続くものかどうかは予断を許さない。
「ダンスに行くのよ」とそのスウェーデン娘 ヨーロッパ一人旅↑ ノルウェー娘と本当に二人きりだけ