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ヨーロッパ一人旅!

  

                スウェーデン編

 

第二日      

No.23  19xx年8月18日(日)晴れ    

 

■過ぎ行く日々の単調さに耐え難くなってきた

 単調な毎日になってきたようだ。

 退屈、そう、退屈だ。退屈を相手にするような日々の流れ。

 盛り上がりのない一日、一日。そしてまた一日。

 どうしてこうなのか。


 いままでは毎日、一生懸命に旅を続けていた。新しい場所から場所へと移動していた。初めての外国のこと、まだ開始したばかり、どこへ行こうとも新しい体験ばかり、動いていることが刺激的であった。汗を掻きながらも前進している自分には張り合いがあった。

 それが今では狭い家の中、四方を囲まれた空間に留まって足踏みをしている自分になっているではないか。空回り。いわば定着状態、いや、膠着状態にあると言える。

 移動出来ないでいる。



 移動できない?

 本当に動けないのか。

 心の内は何故か落ち着かない。

 一箇所に愚図愚図と留まっているべきではないんだよ、と内なる声が聞こえてくるかのようだ。早く出発せよ、もう十分に骨休みが出来たではないのか。

 次なる行動に移れないでいる自分自身の不甲斐なさに愛想を尽かし苛立っているのかもしれない。何かの罠に捕らえられてしまったかのようだ。逃れられないでいる。

 明日の朝になったら出発しよう。そう思って昨夜はベッドに入ったのではなかったのか。その朝が来てみれば、いつものように朝食が既にテーブルの上には用意されている。食べる。これを食べ終えたら出発しよう。そう思っている。ところが、食べているうちに、今日は止そう、明日にしようと思っている。

 出発の決心がつかない。

 お世話になってきたのに、そのまま逃げて行ってしまうかのような自分が許せないのだ。

 どうすればよいのか。切っ掛けがつかめない。
 

 

 

早いものだ。気が付いてみると、もう二週間も滞在してしまった。 動けないでいる。動けないでいる? ご好意に充分応えられないでいる自分がもどかしい。

昼間は長ソファーになっているのが、夜、寝る時間がやって来るとベッドに早変わりする。所謂簡易ソファーベッドの上に腰掛けて、室内での時間を過ごす。何をやっているのかといえば、通常は一人で黙々と読書だ。つまり、スウェーデン語の独習。早く喋れるように、早く分かるようになりたい! その一心だ。

夜、いつの間にか、周囲の雰囲気がもう就寝時間がやって来ていると思えるそれだ。時の流れが早い。就寝時間到来を知らせる、架空のブザーなるものがうるさく鳴り響いているのを耳にしながらも ヒロは精一杯抵抗している。出来うる限りにその時刻を後へと押しやるかの如く、何時までもソファーの上に腰かけたままでいようとする。ソファーをベッドに変えることでいわば自分が屈服させられるのを嫌う。あくまでも抵抗している。寝入ろうとはしない。Jag vill inte gå och lägga mig

徹夜するほどの特別な理由もなし、それに休息をちゃんと取らないとなると翌日、体がもっとだるくなる。結局はベッドを作って寝転ぶことになるのだが、それも他にすることがないからと自分に言い聞かせてやっと嫌嫌ながらも横になる。

朝を迎えるのが最近憂鬱なのだ。今日この頃の自分、朝になって目覚めてもベッドの中から起き上がろうとする気が進まない。起き上がりたくないなあ、と感じている。 オレはどうしてしまったのか。じゃあ、そのままいつまでも寝転がっている? そんなこともしていられない。外は朝日が照って、回りの世界は溌剌としているの に。

起き上がれば何か素晴らしいことでも起こるのか。まるで昨日の続きが今日もまたも始まるかのようだ。単調な生活の繰り返し、嬉しくはない。

自分一人だけが遅く起き上がって、朝食のテーブルの所へとのそのそとやってくると、ヒロひとりのための朝食の準備が出来ている。直ぐに食べられるようになっている。目の前にあるものは既に見慣れたもの。食が口に合わないのか。やはり日本の飯が食いたいのだろうか。

朝食も毎日殆ど同じ内容。食習慣にまだ慣れていないからだよ、と言えないこともないのだが、新鮮さがもう“ないよう”などと洒落ても、食欲を大いにそそる何か別のものが出て来るわけではない。特別要求はしない。出来る立場ではない。

新鮮味がないと言えば新鮮味がない。ああ、またか、といった気分になってしまう。何をそんな贅沢な! という声も別のところから聞こえるのだが。

何故こんな憂鬱状態が生まれて来たのだろうか。滞在の日々を重ねるに従って、背後の実情を少しずつ知るようになったからだろうか。

暫くは一人きりで居たいという気持ちが強い。自分を再点検、本来の自分を取り戻したいと思う。本来の自分? どこに?

 

 

 ■ちょっと喋らない?

  Ska vi pratar svenska lite?

「ねえ、少しスウェーデン語でも話さない?」

誘いを耳に聞き取ってもはっきりと「嫌です!」 とも言えず、――そんなこと言ったら卒倒してしまうかも知れない――、だからお茶を濁すような、 返事とも言えぬ、人間の言葉とも言えぬ、何とも要領の得ない、動物的な唸りとも言えそうな、 曖昧な得体の知れない反応をそれとなく全身で示すのであった。

スウェーデン語を話すこと、いや喋ることさえ億劫に感じられる。当初はあんなにも喜んで話そう としていたというのに、、、、、、、。

こんな心理状態は自分の内から生じて来たものなのか。顔を合わせるのも何となく苦痛に感じられる ようになってしまった。無償の行為に対して自分からは充分に応えられないでいるので、自分は負債を 感じ、負債を負えきれなくなっている自分に愛想が尽き自己嫌悪に陥っているのか。

 老夫婦にはいつでも時間がある。極言を許されれば、いわば何もすることがないとも言える。 そんな何もすることのない支え切れない程の時間をたっぷり持っているので、それをヒロと喋る ことで少しでも減らそうとしたいらしい。

こうして二週間に渡って同じ屋根の下に居候させて頂きながら分かって来たこと―――、そう、 それは話し相手が欲しかったからヒロを受け入れてくれた、そして今も受け入れてくれている。 ――― そのように思われてくる。

「そういうことだったのか!?」 とヒロは隠れた真相を悟ったと思った。話し相手になること をヒロは求められているのか?!

夫婦二人一緒に同じ屋根の下で住んでいるのにまるで別々に暮らしているかのような人間関係。 外面(そとづら)は平穏そうでも、内面(うちづら)は孤独な老夫婦。細身の夫は肥満気味の 妻の言いなりにされているかのようだ。夫の方は内心、それが気に食わない。お互いに会話も弾まない、 らしい。そんな夫婦関係にある状況の中に、遥かにずっとお若い(二人と比較すれば、という話だが) ヒロが青天の霹靂の如く招ぜられたらしい。神様が用意して送ってきてくれた”贈り物”に違いない。 ヒロのことをそんな風に受け取ったどうかは定かではないが、そよ風の如く迎えられた。

今までお互いに会話も弾むことがなかったのだろう。お互いに向かい合うことがなかった。 だから他の、別の話し相手が長らく欲しかった。

ヒロが二人の前に現れるまでは、二人の間はギクシャクとしてうまくいっていなかったらしい。 同じ屋根の下、お互いに年を取り合って、今は表面上仲良く一緒に暮らしているかのようにしている のだが。

しかし毎日毎日、お互いに同じ顔を見ていると飽きがくる。何故か嫌気が差してくる。夫の方はムカつきながらももう諦めてしまっていたのかもしれない。 ヒロが二人の間に入ってきたので、お互いに向かい合うことも自動的に避け られるようになった。ヒロに向かい合うようになった。ヒロは「かすがい」のような立場を取ることになる。

見ると、その顔、表情は苦渋に満ちている。お互いに本音を言うことができなくなってしまっている。信頼し合っていないのだろう。お互いに相手にとっては重みとなっている、負担になってしまっているかのようだ。

マリアさんは片足が悪く、また体重があるために足に対する負担が大き過ぎるに違いない。動こうにも自由に動けないから、それ故に体重が増えてしまったのかもしれない。体を左右に船を漕ぐがごとくにバランスを取るために揺ら揺らさせながら、支えのステッキと一緒に片足への負担を軽減するかのように、びっこを引くかのように少しずつ歩いている。床板が悲鳴を上げているかのようにも聞こえる。

痛々しく見えないこともない。歩く度に足が痛むのか、その痛みが表情に現れるのか、堆積されてきたのか。肉体的に長年そうした苦しみを味わいながら生きてきたので、そうした顔、その苦しそうな顔になってしまったのか。そんな引きつったような顔を見ていると気の毒になる。気の毒になるのだが、 ヒロには何も出来ない。何が出来ようか、そう思っている。

最初の出会いも今となってはその新鮮さが消え失せてしまった。お互いに会った時の、心の高揚。こちらから口を開いてなるべく彼等達の欲求を満たして上げるようにするのが ヒロの役目なのかも知れない。が、ヒロの心の中、なにもかも無差別に忌憚無く話すということについてはヒロの心の中にブレ ーキが掛かる。まだスウェーデン語は充分には繰れないよ、と言い訳しているところもなきにしもあらずだが。

 

言葉のクロスパズル  

――― 言葉のクロスパズル   ―――

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