橋の下で水浴び ヨーロッパひとり旅 ↑ フィンランドの夏は既に終わったのか
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毎回、ドイツ語新聞記事を読む、楽しむ フィンランド編
No.10 ヘルシンキを出発、北へとヒッチハイクの旅が始まった
No.12 フィンランド、ヒッチハイクの旅が曲がりなりにも続く
No.13 ヒッチハイクが難しい、じゃあ「フィンランド徒歩の旅」に変更するか?
No.14 フィンランドの民家、その庭にテントを張った所に一泊となる
No.15 Kärsämäki
まで。日本の小旗を振りながらヒッチハイク
No.16 家の中にプールがある、フィンランドの民家で一泊招待される
ムーミン童話全集〈1〉/ムーミン谷の彗星 ムーミン童話全集
下村 隆一 (翻訳), トーベ・ヤンソン, Tove Jansson
No.16 ■はじめてだった、ヨーロッパ(フィンランド編)ひとり旅■
19xx年7月14日(日) Oulu → Kemi → Rovaniemi
昨日の続きをまずは書いておく。
午後7時を過ぎていたと思う。子供達は行ってしまったと思ったら、
やって来る。やって来たと思ったら、また行ってしまう。
暫くしたらまたやって来た。今回は戻って来るのに結構時間が掛かっている。今度は、でも、容易に去ろうとしない。
何かを告げたいらしい。ちゃんとした子供らしいフィンランド語が聞かれる。何かを言っている。分からぬまま聞き耳を立てている。
ヒロを捉まえて何かを言いたいのである。
生のフィンランド語を聞かされている、当の本人は何が言われているのかが全然分からない。
ヒロはフィンランドが分かる同じフィンランド人ではないのだよ。でも子供から見ればフィンランドに来て、
目の前にいるのだから分かるとでも何の先入観も抱かず思っていたのかもしれない。当然だ、と。
よく言われるように子供は純粋なのかもしれない。子供にとっては国境も顔の色も、国籍もないのだ。
何かを伝えたいらしい。その気持ちがこちらにも伝わってくる。何度聞かされても聞いていただけでは分からない。
メモ帳を取り出して、紙片に書いて貰った。
Minne olet matkalla?
書いて貰ったからとて直(ただ)ちに分かるというものでもなかった。
さっそくポケットトラベル辞書で調べてみたのだが、はっきりした意味は分からない。どうも自分の家に来い、
ということらしい。そうではないかと判断して、今度はこちらのブロークン・フィンランド語で聞き返してみる。
そうであった。さっそく、子供達と一緒に歩いて行く。
これが子供達の親御さんが住んでいる家なのだろうか。中に入ってびっくり仰天。
何と、大きな、立派な家だろう! 日本の家屋とついつい比較してしまった。比較せざるを得ない。
日本で言えば何か福祉関係の事業の為の公的な建物ではなかろうか、と思ったのだが、これは自宅だという。
子供達は何人? 全部で5、6人といた筈だ。父親、そして母親と握手。
更に奥へと歩を進めて行くと、何と、何ということか! 家の中に、自宅の中に水泳プールがある!
ヒロもはもう驚き桃の木山椒の木であった。羨ましい限りだ。
プールサイド、白い円テーブルに向かって足を組むようにして腰掛け、
学校教師であるという父親と英語で話し始める。子供達を介して、思いがけずも招待を受けたからには出来るだけ、
それなりに報いなければならないといった、この日本人の相手に対する返礼、つまり我ながらサービス精神がフル回転し始め、
滔滔と話し続ける。立て板に水、と自分では言っても相手にとっては時々分からんことを言う日本人だな、と感じていたかもしれない。
思いつくことを口らから出任せ的に次から次と喋り捲っていた。
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ビールの一種だというお酒が入ったグラスが持って来られた。暫くすると、
ヒロの為と思われる夕食がお盆に乗せられて運ばれてきた。そうか、お酒はアペリティフ(食前酒)だったのか。
食事は全部平らげてしまった。コーヒーも飲んだ。出てくるものは何でも拒まず受け入れた。自分は今、国際親善を果たしている、とも思っていた。
シャワーを浴びた。テレビを上の空で見ながら、父親と話し続ける。
我ながら英語を雄弁に喋ることが出来たと言うのも、お酒が入っていたからか。
尤も意味が通ぜず、そのまま聞き流していた話も多い。人と話すことが暫くなかったので溜まりに溜まっていたことが、
奔流のごとくほとばしり出て、ついつい話がスムーズに、饒舌にならざるを得なかったとも言えようか。
これまでヒッチをしても一台も車が止まらなかった、といった苦情というのか愚痴というのか、感想と言っておこう。それを述べる。 「Ouluまでは明日、一気に行けますよ」 そう言ってくれる。話の受け方も巧い。ヒロもそう希望した。 夜も遅く子供達は自分たちの部屋に入り、親達とヒロだけで暫く、なおも話し続け、テレビの番組が終わった時点で我々も寝ることにした。
喋り捲っている間にもコーヒーに手が伸び、ヒロの癖でちょびちょびと飲むことが出来ず、言わば一気飲みをしてしまう。そうすると空になったカップにコーヒーが言わば自動的に注がれるのであった。
久しぶりに、しかも寝る前に、コーヒーを何杯も飲んだ為か、頭の中は鈍くも冴え渡っていた。いつまでも、いつまでも寝られない。寝入れなくなってしまった。ここには寝に来たのではなかったのか?
腹の調子も変だぞ。ゴロゴロとガスが溜まっていて、屁ばかりが出るのである。出るモノを抑えることはしなかった。遠慮せずに放ち続けていた。寝ようと意志しても、寝入られないのであった。眠れる環境が余りにも良過ぎたのかも知れない。
翌朝を迎えた。
一睡も出来なかった。前回、Kongingangasでの二の舞を踏まないようにと、早目に起床した。早目と言っても時計を見ると、午前8時であった。まだ、家の人たちは皆、寝床の中に留まっているようだ。
トイレから出て来ると、大きな家の中、ある隅っこからはどうも朝食の準備らしい音が聞こえて来る。
朝食シーンが撮られていたと言えようか。シーンとしていて、日曜日の朝は静寂に満たされていた。昨夜の夕食とは異なって、今朝の食卓では余り喋ろうとはしないヒロであった。朝の静けさを駄弁で壊さない方がお互い様であったと言えよう。
日本人のサービス精神は何処へ行ってしまった? と聞かれたとしても、テーブルに腰掛けて食事をしている食堂の窓から見えるのは白樺の木だろうか、林の中に建っている家であることが理解出来る。
さあ、お別れだ。家への入り口の前に皆出揃って記念撮影。子供達だけが付き添いということで村の外れまでやって来てくれた。50円銀貨をチップ代わりに手渡す。
午前9時10分、今日も新たな出発の途に着いた。国道沿いに立つ。日曜日ということもあってか、車は殆ど通らない。昨日、作った日の丸の旗、その棒をリュックのフラップ端に押し入れて、旗がリュックから飛び出て来ているかのように、掲揚した。
Oulu
までは122km。来る車ごとに手を上げて乗せてくれるようにと沈黙の眼差しを送るが、通過して行くばかり。やはりダメなのか。だから、歩いていた。歩いていたのであった。
午前11時半、意外にも、いや、驚いたことに、いや、嬉しいことに、車が一台止まった! やはり日の丸の旗が利いたのだろうか。これは期待、希望が持てる。でも便乗は15分間だけであった
。
日本車だった。真っ赤なMazda車。日本車を運転するほどだから、日本の旗をリュックに掲げていたこの日本人にすぐに反応してくれたのであろう。
また歩きであった。来る車ごとに手を上げる。通過、通過、通過であった。ここに一台ずつの通過、通過と書いていくとすると、書き切れないほどのスペースが必要になる。
その時、腕時計に目をやった。午後零時10分頃であった。フィンランド女性が運転する車が止まった。助手席に収まった後、聞いてみれば、Rovaniemiまで行くというではないか。今日は Kemi まで、Kemi
まで、と念仏の如く心の中で唱え思い続けていたのだったが、これでその先を通り越して、前進出来る。スウェーデン行きを考えていた矢先、ラップランド行きを諦めていたので、急遽、考えを再度改め、Nord Kapp へ行くことに決心を固めつつあった。何だかドラマチックになりそうな気配。
運転はもちろん彼女に任せっきり、ヒロはポケット辞書を両手に持ったまま喋っている途中で、
表現しようとする単語が英語で念頭に浮かんでいても言えないと、さっそくポケット辞書の
ページをペラペラと繰りながら目的の単語を探し出してきて、そのフィンランドを言ってみる。ああ、分かったといった合図を送ってくれるが、続く彼女からの応答は殆ど分からずも、とにかく、車の走行音に負けじとこちらからは大きな声を出し続けていた。
ヒッチハイカーはサービス精神が旺盛でないと務まらないのである。時には歌も口づさんだ。日本の歌、童謡ぐらいしか余り浮かんでこない。でも歌って楽しませてあげれば良いのだ。ヒロは車の中でははるばる日本からやって来た「貸切りエンタテイナー」に成りきっていた。日本ではもちろん、全然有名ではない。
まるで夢のようだった。一気に距離を走り続けている。よしよし、しめしめ、であった。大高飛び。
幸運であった。歩き続けたことに対する“報酬”がここに至ってど〜んと支払われてきたのだ。
道中、空は晴れたり曇ったり。時速100キロ〜120キロでスッ飛ばす、このおばさん、いや、
お姉さんだったかも知れない。腹の調子が途中で若干おかしくなり、ああ、トイレ、トイレへ行きたいという思いが
ときに強烈に押し寄せてきたが、ぐっと堪えて我慢して、多分一睡も出来なかったこともあったからだろうか、
気分も悪かったが、そこは変に格好つける日本男児、堪えて、抑えて、我慢した。 調子よく車を高スピードで走らせている彼女の
邪魔をしてはいけないと自分に言い聞かせていた。
RovaniemiのYH前まで送って来て貰った。住所、名前を聞いて、そして車を背景に彼女の写真を一枚撮った。大喜びだ。
そこのYHは一杯であった。別のYHへと行って見た。そこも一杯であった。野宿ということか。もうそういうことだろうと思い始めている。街へと歩いて行き、どこか適当な寝場所は見出せぬものかと探し回る。街の印象は薄ら寒いものであった。こんな所にも人が住んでいるのだろうか、そんな印象を持った。いままで通過してきた風景とはどこか違う
。
暗い。厳しい。そうか、フィンランドも北に位置する所に来ていたのだ。人影が少ない。辺境の地へと近づきつつあるのだ。
何かの公共の建物らしい。その玄関前で寝ることに決めた。
No.9 市内、フィンランド航空のスチュアデスさんに話し掛けれ、自宅に招待される
Tule
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