船上、最後の夜を過ごす  ヨーロッパ一人旅↑   生まれて 初めての飛行機はエアロフロート


海外へ無料で行く極秘マニュアル

毎回、ドイツ語新聞記事を読む、楽しむ


オーストリアからのメール 

どちらさまもどいつごもどうぞ

 

ロシア編

No.4 列車の中でスイス人女性と知り合いになる。ナホトカ港に到着。

No.5 生まれてはじめての飛行機はエアロフロート、モスクワへと飛ぶ。モスクワ市内観光

No.6 旧レーニングラード到着、市内観光

No.7 フィンランドのヘルシンキへと列車で移動

No.8 真夜中の国境、ヘルシンキ駅での臨時国際交流

 

No.4 ■はじめてだった、ヨーロッパ(モスクワ編)ひとり旅■


      

                       19xx年6月28日(金)晴れ               

 

客船は本州の太平洋岸に沿って北上、津軽海峡を通過。
 
そして、本日は(旧)ソ連のナホトカ港に、とうとう着いた日。
  
 
 
 
 
■ 甲板で
 
長い船旅をしていると、自分自身に退屈してくるものらしい。船の中にあっては今どの辺にいるのかは皆目見当がつかない。
 じっとしていられない。何かをしていないと気が落ち着かなく、次は何をしようかと自分に問うている。
 
気分転換を求めて、甲板へと出てきてみた。海上から渡って来る外の空気を吸う。
 
 「あれはロシア領だと思うんだが、確か・・・・・・・・・」
 
 甲板に立って、顔面、海風に吹かれていると、誰だか知らない人が英語で話し掛けてきた。
 
予想だにしていなかったのでちょっと驚いたが、 ヒロに向かって話し掛けたものと受け取り、声の主の方に向かって応答する。
 
 「えっ、そうですか? 本当ですか?」
 

その人はいつになったらロシアに到着するのか、待ち切れない思いだったのだろうか。

もうそろそろではなかろうか、今か今かとその兆候を 海上に探し当てようとしていたのだろう。

今その兆しみたいなものが、海上、自分の目で捉えることが出来たと思ったのだろう。確かめてみたかったのか。

お互いに離れた所に立っていた我々は別々の一人一人ではあったが、同じ欄干に身を寄せていた我々二人でもあった。

 

同じ船に乗っている者同 士でもあった。同じ船に乗っているということで、お互いに知らない乗客同士であってもある種の親近感が湧いて来るものらしい。確か、英語 では、我々は同じ船に乗っている、と表現する筈だと思い出していた。  

We are in the same boat.

我々は同じボートにいる。つまり、同じ運命にある。

この船が沈むようなことがあったら・・・・・・。 船が沈んだら、我々は同じボートの中だ、ヒロもあなたも一緒ですね、一緒に沈む。生きるも死ぬも同じ運命の下にあるといった我々。

そんなことまで言っているとは思えなかったが、同じ甲板の上だ。意識しようとしまいと、我々はお互いに見えない糸で繋がっている。

「ところで、ちょっとお聞きしたいのですが、外国からソ連に住んでいる人に手紙を送ると、それはソ連当局の検閲を受けるのでしょうか?」   

今度はヒロから質問してみた。 共産国では何かと制度・しきたりが異なっていると聞かされているからであった。

この(ヒロから見ての、)外国人は知っているかも知れない、 とそのニュージーランド人の男性にこの機会を捉えて訊いてみた。ヒロは相変わらず、先ほどからの続き、彼女のことを忘れられず思い続けてい た。  

―― 住所を教えて貰ったとしても、そして日本から手紙を出したとしても、彼女の所に直接届くのだろうか?

―― 制度が違うし・・・・・。どんなものだろう?  

そんな疑問が湧いてきていたのだ。  

「さあ?」 知らない、ということだ。

暇つぶしの、気晴らしの話し相手が見つかったとでも思ったのか、これは幸いとそれからは色々と自分の経歴、体験を引用しながら話してくれ る。時々、何の話をしているのか、ヒロの方では分からなくなってしまう。話の筋を追って行けなくなる。それでも相槌を適当に打ちながら、うん、 うん、分かる分かる、分かっている、といった対等に付き合って上げている顔をヒロはしている。ヒロの方で少々背伸びをしながらも役者を演じる ことで話がどんどんと進んで行くのであった。尤も、ヒロは専ら聞き役を努めていた。

我々二人は甲板に並んで立ったまま、船の揺れを何となく体全体で感じながら、ヒロとしては役者を演じ続けることはもうそろそろ・・・、これ 以上は無理だと感じ始めていた。 

 ニュージーランド人の職業は英語でBuilder、日本語で建築家(?)だそうだ。ニュージーランドの生活水準は高く、そこで働けば高給が望める、 云々云々と次から次と流暢にも英語が出てきて、ヒロとしては上でも書いたように、(上の方に戻ってもう一度読み返す手間を省くために、もう 一度書くと)、話について行くのに苦労を感じながらも、それでもしっかりと聞いているといった立場を何とか保たざるを得なかった。英語が ちょっとだけ話せるというだけでは実は話にはならない、ということを実感させられた。

 「ナホトカまでは同じ船だろう。君のことは覚えておくから、また後で 話そう」 そう言い残して、仲間がいる所へと立ち去ってしまった。

取り残されたような形になったヒロは自分の部屋へと戻って行った。 部屋に戻ってきたものの、実は何もすることがない。ミュージックホールに再度行こうと思った。さっきの件を思い出したのだ。諦めきれない。 とにかく住所も教えて貰わなければならない。

 

 

■ いないない、バー

ミュージックホールへと行こうとすると、2日前、午後9時からの演奏の場で会った、ロシア人男性にばったりと会う。ヴィクターさんだ。

「ズドラースヴィッチェ!」とヒロ。 バーに行って、彼にウオッツカを奢ってあげる。

カウンターに並んで高い腰掛けに座って飲んでいると、同じ楕円を描いたカウンターの、ち ょうど向い側に先ほどのニュージーランド人が自分の飲み物を注文しようとしていた。我々は顔が合った。さっき言葉を交わしたのに、ここバ ーではお互いに知らない同士だといった風に無関心を装うのであった。  

 

■ 最初の外国

船がナホトカ港に入りつつある。ヒロもヴィクターさんと一緒に甲板へと出て行く。乗船客たちは甲板に出て、港の陸地が次第に迫って来るの を興味深そうに眺めている。ヴィクターさんはああだこうだと説明してくれる。

 到着が迫っている。

お互いに握手する。ダスビダーナア、さようなら。

さあ、入港だ。ロシア(つまり、ソ連)に入国するのだ。皆ぞろぞろと、急ぐかのように、でもゆっくりとガキじゃないんだよ、洗練された大人 なんだよ、といった風格、威厳を保ちながら順番に下船して行く。  

 

■ 税関検査

税関検査が始まった。ソ連の税関吏が日本の「プレーボーイ週刊誌」を手にしている。先に入国しようとした日本人乗客から没収したのか、それともどうせ話し掛けても外国語が分からぬ日本人たちとでも高を食っていたのか、ロシア語は言わずもがな、そんな日本人の男たちに見せて 簡単に分からせる、持ち込み禁止の雑誌を具体的に眺めさせて訊いているのか。

「こんなものを持っているか?」 ヒロの番がやって来たときに税関吏はその雑誌をヒロに見せながら訊く。ポルノ誌は御法度だということなのだろう。

 「いいえ。H.G.ウェルズの世界歴史2冊とヘミングウェイの短編集だけです」 わざわざ目の前に岩波新書とペンギンの英語単行本を出してヒロの方からも眺めさせてあげる。

お互いに印刷物を介しての意思疎通であった。 納得したらしい。行って良いという意思表示をする。何ら問題なく税関通過であった。  とうとうソ連に着いた! 外国に、ヒロにとっては生まれて初めての外国に足を降ろしたのであった。最初の外国が共産主義を標榜する(旧)ソ連であった。  

 

 

■ ハバロフスク駅へ向かう列車の中で

ハバロフスク駅へ向かう駅、チーハオケアンスカヤ駅のベンチで列車が来るの待つ。プラットフォームで同じく待っているロシア人のおっさん 二人、簡単に意思の疎通を試みる。列車待ちの暇つぶしと好奇心からの国際交流をするのであった。

地元のロシア人に直接接触した次第であっ た。年輩のおっさんは内ポケットにウオッツカの瓶が入っているのを自慢そうに見せてくれる。酔っ払いだろうか。

 我々、日本からのグループ旅行のメンバーたちも皆、野次馬の如く寄って来て、おっさんと興じ合う。ロシアのたばこを一本貰う。何だ、これ は? 中間はがらんどうだ。こんなの吸えるかよ。ロシアのたばこが底上げになっているとは驚きだった。  

 

■ 列車の中

 時間的には夕食の時間だし、出発の時間と迫った。我々は列車の中に収まった。

列車は動いている。居場所を食堂車に移動して、夕食を取る。禅修行中だ、というドイツ人男性と同じ小さな四角テーブルを共有、向かい合っ て夕食を取る。頭は青白く剃り上がっている。西洋人の坊主とは、これは、これはとても珍しい。

食後、ちょうど背中合わせの、直ぐ後ろのテーブルで食事を取っていた若い女性、ドイツ語を喋る人とヒロはスイスのことなどを喋り合う。まだ 一度も会ったこともない人であったが、親しく、心を開いて、余りにもスムーズに会話に入ることが出来た。ヒロは英語で喋った。

彼女はパキス タンと回ってきて、チューリッヒの近くに住んでいるという家に戻るところだそうだ。小学校の先生。彼女、スイス人、笑顔が魅力的だった。 輝いていた。

食後、自分のコンパートメントに戻ってからは葡萄酒を飲んで、日本人同士で少し話し合い、午前零時過ぎ、ようやく床に就いただろうか。しかし、翌日になってしまっても、午前4時頃まで寝入ることが出来なかった。ベッドに寝ころんでいても、列車の振動が体全体に伝わってきていたし、耳にもいつまでも聞えていた。

 夜行列車である。ロシアの地方の未開発振りを外国人には見せないように夜走る列車に外国人旅行者を乗せることにしているそうだよ、とロシア事情通はその理由を説明していた。真偽のほどは確認のしようがない。 外が真っ暗では確かめようもない。  

 

■ 初めての、外国の乗り物

外国の船に乗った。外国の列車に乗った。そして外国の飛行機に乗り継いだ、ということで、生まれて初めて飛行機に乗った。

不安はなかったのか、と訊かれれば、不安はなかったと自信を持って言うことは出来ない。何となくあった。が、どうしようもない。不安を紛 らすために席を立って、ちょっと外へ、と出て行くことも出来ない。そんなことは分かっていた。乗客同士けんかになって、「おい、ちょっと 外へ出ろ」といった冗談を思い出した。

外国にやって来て、外国の飛行機、ソ連のアエロフロート機。どんな感じかと言えば、時にエレベータが下るような下半身がもげてしまうよう な変な気持ちになった。殆どその指定座席にただ腰を降ろしているだけだった。窓外を見れば確かに飛んでいるのが分かる。実際には物凄いス ピードで飛行しているのだろうが、ゆっくりと動いている。

上空はとても良い天気であった。白い雲海の上を飛行中。地上の風景も暫くすると白い雲の全部覆われてしまった、隠されてしまった。 白い、白い、白い雲。まるで雪のようでもあり、雪山、雪の原、地球は丸い。狭い座席に釘付けにされたかのごとく身動きが出来ない。目的地 のモスクワまで黙って座っていろ、ということらしい。 窓外は白い雲のベッドが浮かんでいる。その上を飛行機は実際には猛スピードで飛行しているのだろうが、窓外から見るとスローモーションの ようにゆっくりと進んでいるように見える。日が照っていて眩しい。

食事は二度あった。長時間の飛行だ。自分の席に釘付けにされてしまったようで、飛行機の中では自由な動きが取れない。

さて、何をするか。 飛行機を待つ間に飛行場にあったフランス語、ドイツ語、英語の雑誌や新聞を脇に抱えるように持ち込んで来ていたので、飛行中はそれら 外国語の雑誌、新聞に時々目を通していた。 ロシア語の勉強でもしようかと、英語の新聞Moscow News、そのロシア語学習のページ、Meet the Soviet Union LESSON No.57を仔細に眺め ていた。  

Today you will learn one way of expressing conditional relations in a complex sentence. Read the following sentence. ということで、初っぱなにロシア語文字が記されている。

上空、飛行機の中で条件法の勉強をしましょう、ということだ。

 If tommorrow is fine, we shall go to the lake. と英語での翻訳が付いているが、そのロシア語文字の方は読めない。面白い、特徴的な ロシア文字だ。  

もし明日お天気ならば、湖に行きます。  もし、何々ならば、何々だ。  

もし、if  もし、もし、  「もしも・・・」は英語でif。だから、日本語の「もしもし」は ifif イフイフ と言うらしい、といった笑い話を思い出す。 米国に行った日本人、受話器を取って電話をしようとしたとか。  「イフイフ」  もしもし、の積もりで言ったとか、言わなかったとか。真偽のほどは知らない。  

もしこの飛行機が墜落でもしたら、、、、いや、そんな考えは振り払った。  裏の紙面を見ると、第五回チャイコフスキーコンテストの入賞者たちの紹介記事が載っている。  

 

今度は Moscow News のフランス語版を手に取ってみた。やはりロシア語学習ページが載っている。   

Decouvrez l’Union Sovietique LECON 56 だ。  Vous allez apprendre, aujourd’hui, les phrases sur le temps qu’il fait :  ということで、それぞれにロシア語文字が出ているが読めない。

上空、飛行機の中で天気の言い方を勉強しましょう、ということだ。フランス 語の翻訳がついている。それをヒロが日本語にすると、以下の通り。  

“Quel temps fait-il aujourd’hui?” 今日のお天気は如何でしょうか?  

“Aujourd’hui, if fait froid.” 今日は寒いです。 実は、晴れ、であったが。

“Quel temps faisait-il hier?” 昨日はどう?  

“Hier, il faisait froid.” 昨日は寒かった。

“Quel temps fera-t-il demain?” 明日はどう?  

“Demain, if fera froid.” 明日は寒いでしょう。    

 

 

■ そして、バスでの移動  

冒頭でも記したように、この飛行機に乗る前はソ連の列車に乗っていた。

午前11時30分、ハバロフスク駅に到着。日本語を話すインツー リストの係員の誘導だ。バスに乗せられ市内のレストランへとやって来る。昼食だ。

レストラン前では市民たちが、外国人観光客たちが、明る い日射しを受けながら、立っている、歩いている。幸せそうだ。  

食後、またバスに乗せられて飛行場にやって来る。どの飛行機に乗るのだろう。分からない。待つ時間が誠に長く感じられた。  

飛行機の中、上述の如くだ。モスクワ郊外の飛行場に到着。

バスがやって来るまでベリオスク(お土産販売店)で金ピカの目覚まし時計を買っ た。日本円に換算して、701円也。  

バスがやって来た。飛行場からはまたバスでモスクワ市内へと向かう。チャーミングな声(本人が自分でそう言ったのだから、そういうことに しておこう)をした、インツーリストの女性ガイドだ。自分はイーナです、と自己紹介する。  

バスの中、英語で説明しながら走って行く。ヒロは運転手さんのすぐ傍、一番前の席を占める。船でのこともあって、少し積極的に出なければな らないと反省した結果だ。日本人の遠慮深さとかいう徳目は余り利かないようだ。そう、イーナさんのそばだ。イーナさんのそばか、良いな、 と後方に席を占めざるを得なかったグループのメンバー達が思っていたかどうかは、後を振り向いて皆の表情を見ることもなかったので知らな い。関係ない。  

モスクワの沿道風景を眺めながら走っている。

昨日は(故)米国ニクソン大統領がモスクワに到着した、とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

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