我々は同じボートにいる。つまり、同じ運命にある。
この船が沈むようなことがあったら・・・・・・。
船が沈んだら、我々は同じボートの中だ、ヒロもあなたも一緒ですね、一緒に沈む。生きるも死ぬも同じ運命の下にあるといった我々。
そんなことまで言っているとは思えなかったが、同じ甲板の上だ。意識しようとしまいと、我々はお互いに見えない糸で繋がっている。
「ところで、ちょっとお聞きしたいのですが、外国からソ連に住んでいる人に手紙を送ると、それはソ連当局の検閲を受けるのでしょうか?」
今度はヒロから質問してみた。
共産国では何かと制度・しきたりが異なっていると聞かされているからであった。
この(ヒロから見ての、)外国人は知っているかも知れない、
とそのニュージーランド人の男性にこの機会を捉えて訊いてみた。ヒロは相変わらず、先ほどからの続き、彼女のことを忘れられず思い続けてい
た。
―― 住所を教えて貰ったとしても、そして日本から手紙を出したとしても、彼女の所に直接届くのだろうか?
―― 制度が違うし・・・・・。どんなものだろう?
そんな疑問が湧いてきていたのだ。
「さあ?」 知らない、ということだ。
暇つぶしの、気晴らしの話し相手が見つかったとでも思ったのか、これは幸いとそれからは色々と自分の経歴、体験を引用しながら話してくれ
る。時々、何の話をしているのか、ヒロの方では分からなくなってしまう。話の筋を追って行けなくなる。それでも相槌を適当に打ちながら、うん、
うん、分かる分かる、分かっている、といった対等に付き合って上げている顔をヒロはしている。ヒロの方で少々背伸びをしながらも役者を演じる
ことで話がどんどんと進んで行くのであった。尤も、ヒロは専ら聞き役を努めていた。
我々二人は甲板に並んで立ったまま、船の揺れを何となく体全体で感じながら、ヒロとしては役者を演じ続けることはもうそろそろ・・・、これ
以上は無理だと感じ始めていた。
ニュージーランド人の職業は英語でBuilder、日本語で建築家(?)だそうだ。ニュージーランドの生活水準は高く、そこで働けば高給が望める、
云々云々と次から次と流暢にも英語が出てきて、ヒロとしては上でも書いたように、(上の方に戻ってもう一度読み返す手間を省くために、もう
一度書くと)、話について行くのに苦労を感じながらも、それでもしっかりと聞いているといった立場を何とか保たざるを得なかった。英語が
ちょっとだけ話せるというだけでは実は話にはならない、ということを実感させられた。
「ナホトカまでは同じ船だろう。君のことは覚えておくから、また後で 話そう」
そう言い残して、仲間がいる所へと立ち去ってしまった。
取り残されたような形になったヒロは自分の部屋へと戻って行った。
部屋に戻ってきたものの、実は何もすることがない。ミュージックホールに再度行こうと思った。さっきの件を思い出したのだ。諦めきれない。
とにかく住所も教えて貰わなければならない。
時間的には夕食の時間だし、出発の時間と迫った。我々は列車の中に収まった。
列車は動いている。居場所を食堂車に移動して、夕食を取る。禅修行中だ、というドイツ人男性と同じ小さな四角テーブルを共有、向かい合っ
て夕食を取る。頭は青白く剃り上がっている。西洋人の坊主とは、これは、これはとても珍しい。
食後、ちょうど背中合わせの、直ぐ後ろのテーブルで食事を取っていた若い女性、ドイツ語を喋る人とヒロはスイスのことなどを喋り合う。まだ
一度も会ったこともない人であったが、親しく、心を開いて、余りにもスムーズに会話に入ることが出来た。ヒロは英語で喋った。
彼女はパキス
タンと回ってきて、チューリッヒの近くに住んでいるという家に戻るところだそうだ。小学校の先生。彼女、スイス人、笑顔が魅力的だった。
輝いていた。
食後、自分のコンパートメントに戻ってからは葡萄酒を飲んで、日本人同士で少し話し合い、午前零時過ぎ、ようやく床に就いただろうか。しかし、翌日になってしまっても、午前4時頃まで寝入ることが出来なかった。ベッドに寝ころんでいても、列車の振動が体全体に伝わってきていたし、耳にもいつまでも聞えていた。
夜行列車である。ロシアの地方の未開発振りを外国人には見せないように夜走る列車に外国人旅行者を乗せることにしているそうだよ、とロシア事情通はその理由を説明していた。真偽のほどは確認のしようがない。
外が真っ暗では確かめようもない。
■ 初めての、外国の乗り物
外国の船に乗った。外国の列車に乗った。そして外国の飛行機に乗り継いだ、ということで、生まれて初めて飛行機に乗った。
不安はなかったのか、と訊かれれば、不安はなかったと自信を持って言うことは出来ない。何となくあった。が、どうしようもない。不安を紛
らすために席を立って、ちょっと外へ、と出て行くことも出来ない。そんなことは分かっていた。乗客同士けんかになって、「おい、ちょっと
外へ出ろ」といった冗談を思い出した。
外国にやって来て、外国の飛行機、ソ連のアエロフロート機。どんな感じかと言えば、時にエレベータが下るような下半身がもげてしまうよう
な変な気持ちになった。殆どその指定座席にただ腰を降ろしているだけだった。窓外を見れば確かに飛んでいるのが分かる。実際には物凄いス
ピードで飛行しているのだろうが、ゆっくりと動いている。
上空はとても良い天気であった。白い雲海の上を飛行中。地上の風景も暫くすると白い雲の全部覆われてしまった、隠されてしまった。
白い、白い、白い雲。まるで雪のようでもあり、雪山、雪の原、地球は丸い。狭い座席に釘付けにされたかのごとく身動きが出来ない。目的地
のモスクワまで黙って座っていろ、ということらしい。
窓外は白い雲のベッドが浮かんでいる。その上を飛行機は実際には猛スピードで飛行しているのだろうが、窓外から見るとスローモーションの
ようにゆっくりと進んでいるように見える。日が照っていて眩しい。
食事は二度あった。長時間の飛行だ。自分の席に釘付けにされてしまったようで、飛行機の中では自由な動きが取れない。
さて、何をするか。
飛行機を待つ間に飛行場にあったフランス語、ドイツ語、英語の雑誌や新聞を脇に抱えるように持ち込んで来ていたので、飛行中はそれら
外国語の雑誌、新聞に時々目を通していた。
ロシア語の勉強でもしようかと、英語の新聞Moscow News、そのロシア語学習のページ、Meet the Soviet Union LESSON No.57を仔細に眺め
ていた。
Today you will learn one way of expressing conditional relations in a complex sentence. Read the following sentence. ということで、初っぱなにロシア語文字が記されている。
上空、飛行機の中で条件法の勉強をしましょう、ということだ。
If tommorrow is fine, we shall go to the lake. と英語での翻訳が付いているが、そのロシア語文字の方は読めない。面白い、特徴的な
ロシア文字だ。
もし明日お天気ならば、湖に行きます。
もし、何々ならば、何々だ。
もし、if
もし、もし、
「もしも・・・」は英語でif。だから、日本語の「もしもし」は ifif イフイフ と言うらしい、といった笑い話を思い出す。
米国に行った日本人、受話器を取って電話をしようとしたとか。
「イフイフ」
もしもし、の積もりで言ったとか、言わなかったとか。真偽のほどは知らない。
もしこの飛行機が墜落でもしたら、、、、いや、そんな考えは振り払った。
裏の紙面を見ると、第五回チャイコフスキーコンテストの入賞者たちの紹介記事が載っている。
今度は Moscow News のフランス語版を手に取ってみた。やはりロシア語学習ページが載っている。
Decouvrez l’Union Sovietique LECON 56 だ。
Vous allez apprendre, aujourd’hui, les phrases sur le temps qu’il fait :
ということで、それぞれにロシア語文字が出ているが読めない。
上空、飛行機の中で天気の言い方を勉強しましょう、ということだ。フランス
語の翻訳がついている。それをヒロが日本語にすると、以下の通り。
“Quel temps fait-il aujourd’hui?” 今日のお天気は如何でしょうか?
“Aujourd’hui, if fait froid.” 今日は寒いです。
実は、晴れ、であったが。
“Quel temps faisait-il hier?” 昨日はどう?
“Hier, il faisait froid.” 昨日は寒かった。
“Quel temps fera-t-il demain?” 明日はどう?
“Demain, if fera froid.” 明日は寒いでしょう。
■ そして、バスでの移動
冒頭でも記したように、この飛行機に乗る前はソ連の列車に乗っていた。
午前11時30分、ハバロフスク駅に到着。日本語を話すインツー
リストの係員の誘導だ。バスに乗せられ市内のレストランへとやって来る。昼食だ。
レストラン前では市民たちが、外国人観光客たちが、明る
い日射しを受けながら、立っている、歩いている。幸せそうだ。
食後、またバスに乗せられて飛行場にやって来る。どの飛行機に乗るのだろう。分からない。待つ時間が誠に長く感じられた。
飛行機の中、上述の如くだ。モスクワ郊外の飛行場に到着。
バスがやって来るまでベリオスク(お土産販売店)で金ピカの目覚まし時計を買っ
た。日本円に換算して、701円也。
バスがやって来た。飛行場からはまたバスでモスクワ市内へと向かう。チャーミングな声(本人が自分でそう言ったのだから、そういうことに
しておこう)をした、インツーリストの女性ガイドだ。自分はイーナです、と自己紹介する。
バスの中、英語で説明しながら走って行く。ヒロは運転手さんのすぐ傍、一番前の席を占める。船でのこともあって、少し積極的に出なければな
らないと反省した結果だ。日本人の遠慮深さとかいう徳目は余り利かないようだ。そう、イーナさんのそばだ。イーナさんのそばか、良いな、
と後方に席を占めざるを得なかったグループのメンバー達が思っていたかどうかは、後を振り向いて皆の表情を見ることもなかったので知らな
い。関係ない。
モスクワの沿道風景を眺めながら走っている。
昨日は(故)米国ニクソン大統領がモスクワに到着した、とのこと。