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オーストリアからのメール 

 No.6  ◆ はじめてだった、欧羅巴ひとり旅・滞在 ◆       

 19xx年6月30日(日)快晴、旧レーニングラード

 

■レーニングラード到着

午前7時過ぎ、レーニングラード駅に着く。キーラ嬢が我々日本人グループを出迎え、市内観光に案内してくれることになった。彼女、日本語を話す。

バスでヨーロッパホテルへ。その5階のレストランで朝食。高い天窓から明るい光が入ってくるレストランでの食事はうまかった。我々日本人の口に合う料理がたまたま出されていたのかも知れない。冷たい水も美味かった。食事中はめいめいが片言のロシア語でポーランド人女性の、ウェイトレスに話し掛ける。初めて訪れた外国での外国人が目新しく目に映るのだ。食事をしながらも、皆さん、言葉が通じるかどうかと楽しんでいるのであった。


■レーニングラード市内観光

食後、同じバスに乗って、まずはネバ川へと向かった。明るい日射しに照らし出されたレーニングラードの街は清潔に見えた。全てが鮮明にこの目に飛び込んでくる。初めての外国にやってきて、 ヒロは少なからず感動している。見るもの一つ一つが今まで見たこともないものであるので、全てが新鮮に映って見える。

バスから降りた観光客たちは皆、例外なくカメラを構えている。まるで絵はがきのような眺めだ。でも現実だ。

モスクワよりもレーニングラードの街の方が道路も整然としていて、自分自身、落ち着きを取り戻すことが出来た。カメラのフィルムを仕入れて置かなかったことが悔やまれた。

キーラ嬢の話はとても知的であった。レーニングラードの歴史を色々と語ってくれた。が、ヒロは全部忘れてしまった。歴史を読まずに来てしまった。いや、そもそも予備知識など仕入れずにやって来てしまった。いわばぶっつけ本番だ。俄か観光客。お上りさんだ。

予備知識があるとそれに邪魔されてしまうというか、その知識に基づいてしか現実を見ることが出来なくなってしまう。そうよく言われる。現場へやって来たとき、自分は何を感じたか、何を思ったか、何を考えたか、その時の自分はどうだったのか、他人が書いたものを鵜呑みにして見るのではなく、生の体験をする自分の方がもっと大切だと思っていた。

そんな受け売りするような、変に格好をつけていながらも、少しは勉強してやって来ても良かったのではないか、と現実に現場にやって来てしまった自分は実は勉強不足を感じていた。ロシア語だけについてはグループの他の人と同様、必要最低限を仕入れてきたし、ポケット・ロシア語会話帳も持参してきていた。キーラ嬢は聞いてて惚れ惚れするような日本語を話すし、誠に知的な人であった。

 

午後、エルミタージュ美術館へと行った。全て旅行プラン通りである。眩しい日射し。館内、外国人観光客の多さも然(さ)る事ながら、その素晴らしい展示物には目を見張るものがある。天然石の色を利用してのモザイク絵 ―― 遠くから見れば油絵のようであるが、近くに寄って見れば天然色を組み合わせた、一つの絵画が出来上がっている。その他、ピョートル皇帝の遺品など、豪華としか言い様がない。聖書をよく読んでいて、その内容を知っていたならば、もっと理解出来たであろうと思われる絵画の数々。共産国にあってもキリスト教に関した絵画はそのまま置いてある。不思議と思う ヒロの方が不思議と思われて しまうのかも知れない。

ピョートル一世像、デカブリスト広場、イサーク広場、宮殿広場、オーロラ号、ロマノフ広場、クジャク石、その他。

 

■部屋の鍵をなくした?

夕食後の自由時間、その前に部屋に寄って自分を取り戻そうとしたが、どうした訳か鍵がポケットにない。自分を取り戻す前に鍵を取り戻さなければ、、、、と受付に行った。電話の受話器を持たされ、「自分で訊いてくれ」とのことであろうが、、、、、、、相手が出て来た。こちら側がしどろもどろで、ロシア語で説明は出来んのに、、、、要領を得なかったためか、ロシア語で捲し立てられてしまっては、こっちとらも最初から返答の仕様ががない、一方的に切られてしまった。

さて、鍵はどこに?

 

■ネバ川へ

我々日本の若者4人だけでネバ川へ今度は歩いて行ってみようということになった。話には聞いていたが、ロシアの若者、学生が案の定、話し掛けてきた。英語だ。

「何か売るものはないか?」

「お宅が着ているその上着を買いたい」

色々と要求してくる。ちょうど橋の上に立っている時であった。二人目がやって来る。今度はドイツ語で要求してくる。勿論、欲するものは変らない。腕時計のバンド、ジーパン、日本のたばこ等々。そんなやりとりを耳にした、直ぐそばにいた更に二人のロシア人学生も ヒロにロシアのたばこだと言って勧めてくれる。そうしながら色々と売ってくれと言う。共産国、そんなに良い物はないのかも知れない。いや物がないのかもしれない。貧しいのか、それとも外国品だと言って国内で一儲けでもしようとしているのか。丁寧に断った。売るために身に着けているものではない。

どうも道を間違えてしまったらしい。どうせ訊くならロシアの、きれいな若い女性に話し掛けて訊いてみようと見渡し、目敏く見つけて団体で近づいて行く。教えてくれたが、ロシア語は全然分からない。想像でこちらの方だろう、と納得して、「スパシーバ、スパシーバ」を連発、あなたは「素晴らしいわ、素晴らしいわ」とも日本人の耳には聞き様によっては聞こえるが、その女性にロシア語でスパシーバと何度も、バカの一つ覚えのごとく、お礼を言って、教えられたその方向へと皆んな仲良く歩いて行く。

二時間ほどぶっ続けで歩いていただろうか。日本からのお上りさんはこれだから、どうしようもない。ようやく通って行くべき道を見出したようだったが、途中、一人は歩き疲れてしまって脱落。

「じゃあ、また、ホテルで会おう」

残った我々三人はネバ川を目指して引き続き歩いて行った。

ネバ川、ネバー・ギブアップであった。

 

■ネバ川沿いで

夕日が沈もうとしていた。恋人達が川沿いの石段に腰掛けて肩を寄り添いながら戯(たわむ)れている。見せつけるでないか! 露骨、それとも粗忽、いや、普通のことなのか。共産主義の国でも恋愛は許されるのか、どうなのか。我々日本からの男達も同じ石段に腰掛けて、しばらくは川の上を走る遊覧船やら、対岸の建物などを眺めていた。赤い夕日が川面を照らす。

川沿いに歩いて、ホテルまで戻ってくる。我々は歩き疲れてしまった。

午後11時、自分の部屋の中、シャワー。

ラジオから聞えてくる音楽を独り寝のベッドの友としているうちに寝入ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

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