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ヨーロッパ一人旅!

  

                ロシア編

 

第一日  19xx年6月26日(水)晴れ

出航前の慌ただしさ。乗船前の手続きに色々と横浜港近辺の道路沿いを奔走した。 やれ銀行に行って円貨をドルに交換したり、やれ税関検査と一連の準備を終えたりと、やっと船に乗り込めたという感じであった。


 

■出航

昨日、午前11時、ジェルジンスキー号は横浜港から発った。

 甲板の上に出て、 その出発の瞬間をこの目で確かめていた。このヒロにとっては歴史的な日、欄干に身を寄せ、 船が岸壁から少しずつ離れて行くのを黙って眺めていた。船の上から去って行く日本の姿を脳裏に焼き付けているかのようであったろう。

岸壁と船側の間に見える海水がゆっくりと、次第に、その幅を広げて行く。向こう岸、岸壁の上、 家族の人達だろうか、友達だろうか、知合いだろうか、皆んな乗客たちの関係者であろう、 見送りに来ていた人たちは手を振ったり、歓声を上げたりしている。そんな色とりどりの姿が高い所から眺められる。

ヒロには関係者は誰もいなかった。たった一人での出航。外国へと一人で出掛けて行くということで少々緊張していた。 これから何が待ち受けているのか 。皆目分からない。具体的な計画なしの、外国への旅発ちであった。でも、自分に対する信頼はあった。


 


 ■彼女と話したい。でも・・・・、

外国へ行くのも、長い船旅も初めてのこと、今回が生まれて初めて。どうして心がこんなにも騒ぐというのか、 ワクワクするのか。と同時に、何故かじっとしていられない、居ても立ってもいられない心持ちだ。何かをしていないと心が落ち着かない。 何をしよう?

 ゆっくりと海上を滑っている船ーー、船が走っているということは船内に居ては全然分からない。 目に見えないスピードがこの身にも刺激となって感じられ気持ちが騒ぐのかも知れない。


 二段ベッドの上段、そこに寝転がっていた。割り当てられた自分の船室内に一人閉じこもっていても、 燻っていても面白くないと思っていた。 何も起こらない。


  ――― ああ、彼女と話してみたい。

晴れない自分を相手にしているだけであって、 彼女その人を相手にしているのではなかった。

  ――― これからでも彼女の所へと行って話し掛けてみようか。

そんな風に思い始める。すると、何故か居ても立ってもいられなくなってくる。いや、 安穏と寝転がっている場合ではない、と思われてくる。このチャンスを逃したら、、、、 二度と得ることが出来ないかも知れない、この実現出来るかもしれない瞬間を見す見す逃してはならない。 今、機会を失うようなことになったら、もう一生後悔するだけだ。

 

実際、そのまままだ寝転がち続けていた。彼女の所へとすっ飛んで行きたくなる気持ちが 加速度的に募る。


  ――― でも彼女の所へ行くにも口実がないと行けない。

そんな風にも考えている。

話し掛けるとしても、どう話を切り出したら良いものだろう? 

そうだ、彼女の住所を教えて貰おう。手帳に書いて貰おう。

さっそく頭の中では限られたロシア語単語での作文がなされ、忘れないようにと心の中で暗唱していた。

 

決意はついた。ヒロは跳ね起きた。ヘミングウェイの短編集を持ってミュージックホールの方へとゆっくりと歩いて行った。ホールの中へと入る時、オフィスの方、左の方、ちらっと見た。彼女がいる! 一人きりだ ! チャンスだ! そう思った。が、どうしたわけか、やはりここ一番という勇気に欠けていたのか、 そう言えば、ウオッツカ酒が入っていなかったわ い、と思いながらも、そのままホールの窓側にあったソファーに腰を降ろしてしまい、そこでは持ってきたヘミングウェイを読み続けようとした。が、上の空。読んでも頭に入らない。 気が付いてみると、同じ文章の上を何度も行ったり来たり、全然読み進んでいけない。


  ――  そうしたら、彼女と文通が出来るだろう。

   ――  二年ぐらい経てば、 彼女とも対等にロシア語で意思を通じ合えるだろう。

 本を読む振りをしているだけで、実は別のこと、つまり彼女のことを夢中に考えていた。

――  そうだ、それがいい。

――  この本の裏表紙に住所と名前を書いて貰おう!
――  ロシア語で書いて貰おう。

決まった。そう思い立った。ホールを出ようと右の方をちらっとみると、他の人が彼女と話している。 彼女が一人切りでいる所にやって来て、そして・・・・話し掛ける機会を失ってしまった! 


 


■自分を持て余すとは・・・・

自分の部屋へと戻って行った。誰もいない。同室人たちは全員部屋を留守にしていた。 部屋に残っている方がおかしい。卓球をやりに行くとか、確かそんなことを言っていたが・・・・・・・、 他にすることもなし、ヒロも気晴らしに行ってみるとするか。

卓球をする場所に来てみたが、卓球など全然する気もない。そこにはデザイナーだというオーストラリア人がいた。 大学でロシア語を学び、ロシア語が話せる。また、ノルウェーの農場で働く予定だというアメリカ人の女子大生。そんな脇で背の低い、日本の男達だけがせっせと全身を、腕を、足を動かしながら、一人一人ピンポンゲームに興じ合っていた。

「ねえ、お茶の時間だ。もう止めよう。お茶を飲みに行こうではないか」

ドイツ語を頻りに使いたがる大学生が言う。日本からの、同じグループ旅行のメンバーの一人である。 これからドイツまで行って、そこでドイツ人の友達に会いに行くとか。日本的なお土産も持参して来ていると自慢げに言っていた。


我々はお茶を飲みに行った。

 そして、お茶の時間も終わった。

 



■まだ晴れない、この心の中、

 ヒロの気持ちは、まだ満たされていない。彼女と是非とも話してみたい。別れる前に、別れる前?  まるで彼女とは以前から知り合いであったかのような書き方になってしまったが、 何故かそれほどまでにも思い込みが激しいヒロであった。ロシア語で話せればそれに越したことはないのだが、 英語が話せる彼女だということだし、英語で話してみよう。ヒロはロシア語はまだ話せないのだ。彼女も許してくれるだろう。

 そう思い立って、ヒロは一人ミュージックホールの方へともう一度一人で歩いて行った。そして左側のオフィスの中をちらっと垣間見る。と、彼女その人がいない! 

拍子抜け。

仕方ない。ソファーに腰掛けて本でも読むか? ああ、ヘミングウェイさんと無言で対話しているしかないと言うか。

この意気地なし奴!
 

 

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